第35回 一粒の有機から

先日、一年ぶりにお世話になった知人夫妻に会いにいった。
とある町の山あいで田舎暮らしをしている。
といっても、田舎暮らしに憧れてとか、子育て環境を考えて移住したとか、老後を田舎でのんびりとか、そういう類いではない。
生業の陶芸に使う土を吟味した結果選んだ土地だ。
山林を切り開いて窯をつくり、住めるだけの家を自力で建て、その周りをささやかに開墾して家族が食べる分だけの野菜を育てている。

彼らはそうやってもう50年以上も生活してきた。
子どもも巣立ち、孫もいる年になったが、ライフスタイルは変わらない。
自分で作れるものは作り、自然にあるものをいつくしみながら、知恵と工夫と体を使って生きている。
間伐材をもらい受けて薪にして登り窯を炊き、家の暖も薪ストーブでとっている。
そこは冬の寒さが半端でなく厳しい北国だが、彼らのライフスタイルは変わらない。

人間は年には勝てない。
足腰が弱ってくると、田舎暮らしは想像以上に厳しいものになる。
それをカバーするのは、長年の経験と知恵、そして少欲知足の精神だ。

一年ぶりに訪問すると、満面の笑みで迎えてくれた。
話は尽きず、毎度のことながらついつい長居になる。
帰り際、家の主人が「ちょっと待ってて」と言って外へ飛び出した。
数分後に抱えてきたのは、ミニトマト、サヤインゲン、ピーマン。

たった今まで太陽の日差しを浴びていたそれらはほっこりと温かく、エネルギーをたっぷり蓄えていることが伝わってくる。

つやつやのミニトマトを一粒ずつ大切そうに袋に移しながら、彼はこんな話を始めた。
もうちょっと、あと2~3日したら食べごろだぞと観察するのが日課であり楽しみで、いよいよ今日だ!と、収穫に出た日の朝のこと。
なんと、ハクビシンに食べられたというのだ。
「やられたよ」と、さも悔しそうに言う。
血相を変えて家に飛び込んできたと、隣で夫人が笑いをかみ殺しながら言う。

その後、彼とハクビシンとの戦いが始まった。
ロープを張り、ネットを掛けて保護対策をし、パトロール回数も増やした。

そんなふうに大切に大切に育てているミニトマトを、お土産にと惜しげもなく収穫してきて袋に詰めているのだから、ありがた過ぎて食べるのが申し訳なくなる。

サヤインゲン、ピーマン、そして、ハクビシンと神経戦を闘ったミニトマトを手渡す時に彼はこう言った。
「無農薬だからね」。

彼のその誇らしげな笑顔に思う。
自分で土を起こし、自分でつくった堆肥で丹精こめて育てた野菜たち。化学肥料や殺虫剤を使っていないという安心。
ささやかだけれど間違いなく有機だし、ライフスタイル自体がオーガニックだ。

家庭菜園だって立派な有機野菜が作れる。
その喜びと確かさ、そしておいしさを知れば、暮らしは変わる。
暮らしが変われば、必要とすることも変わる。
小さなこと、小さな単位だけれど、何事もそんな小さな手応えと喜びから始まるのではないだろうか。

ミニトマトをかじる。ブチッとはじけて、お日さまの味がした。