第82回 『ゴジラ』に会いたい

ゴジラが教えてくれる、荒々しい雄叫びの背景にある、私たちがしでかした環境破壊という悲しい現実。
だからこそ、今年の夏も私はゴジラに会いに行く。

夏になると見たくなる映画がある。
1954年公開された特撮怪獣映画の金字塔、初代『ゴジラ』。
子どもの頃は夏休みといえば映画館に『ゴジラ』がかかり、
それが夏の風物詩でもあった。

コジラのゴツゴツした背中にはファスナーが見えていて、
人が入っているのだなと分かる。
いわゆる着ぐるみである。
子どもの頃はもちろんそんなことは夢にも思っていなかった。
大きなスクリーンいっぱいに繰り広げられる光景は
息をのむほどに怖かった。
何しろ身長50メートルのゴジラの「ドシンッ」というひと踏みで、
ビルはぺしゃんこだし
大都会東京のまちが次々に破壊されていくのだから。
そして、逃げ惑う人々の姿がものすごく本当のことに思えた。

初代の『ゴジラ』はモノクロだし、いかにも作り物だ。
それでも十分怖かったし、今見ても怖い。
過去も未来も何でも合成してリアルに見せてくれる現代の映像よりも、
「恐れおののく対象」として現実味を感じるのだ。

『ゴジラ』は単なる怪獣映画でもなければ娯楽映画でもない。
ちゃんと思想に裏打ちされた芯が一本通っている映画なのだ。
そう知ったのは大人になってからである。
背景にあるのは同年に発生した第五福竜丸の被ばく事件。
放射能を吐く大怪獣ゴジラに科学兵器の行き着く先を見せつけられているような、
反核や反戦、文明批判といった強いメッセージ性を持った作品なのである。
そうだ、きっとゴジラが怖いのは
人間の仕業への怒りを持っているからだ。

本当はゴジラは可哀そうなのだ。
ジュラ期からずーっと大人しく海の底で眠っていたのに、
水爆実験で眠りを覚まされたのだから。
そして、自分のあずかり知らぬところで、
あんなに巨大化して、あんなに力を持ってしまった。
そう思うと、ゴジラの荒々しい雄叫びは悲しい叫びにも聞こえてくる。
人間が生み出した「核の申し子」ゴジラを
最後は人間の手によって葬ることになるのだが、
身勝手な人間たちの振る舞いの一方で、
科学者としての矜持も描かれていることが救いである。

そんなことあるわけがないと思っていたから、
ゴジラに会いたくてワクワクしながら映画館に足を運んだ夏休み。
今は、「あるわけがない」とばかりは言えない世の中である。
人間の営みと科学の進歩がもたらした結果によって、
巡り巡って人間がやっつけられる時代がこないとも限らない。
現実の環境問題を考えれば、
もう既にそうなのではないか?

マイクロプラスチックをのみ込みながら生きている海の生きものたち、
そしてそれを捕食する鳥たち。
ウミガメが、魚が、鳥が、
いつかゴジラのようにならないとも限らない。
悲痛な叫び声を上げながら暴れ回らないとも限らないではないか。

そんな未来にしないために、
この夏もゴジラに会いに行くとしよう。

有機の応援団 伊藤 真理
 フリーライター ことなひまめ事務所代表
大学卒業後、会社勤めを経てライターとして独立
FMラジオ番組のエッセイ原稿、新聞社の特集記事や料理レシピ、経済誌の取材原稿、社内報のコラム・エッセイ等執筆多数
モットーはクリエイティブライティング、大切にしているのは「言葉」のチカラ
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