第78回 おいおい、お茶よ……

生きていれば日々いろいろなことがある。
楽しいことも、楽しくないことも。
へこんだ時は、お茶でも飲んで一息入れて気分を変えよう。
……という場合、「お茶」といえば緑茶のことだった。

だが、現代の「お茶」は多くの場合コーヒーを指すようだ。
「お茶しない?」と誘われた時、緑茶をイメージする人はあまりいないだろう。
それほどに緑茶離れが進んだのだ。
急須を持たない家庭が増えたというのもうなずける。

ところが、である。
コロナ禍以降、健康志向の高まりから日本の「抹茶」が海外から大いに注目を浴びて、生産が追い付かないまでの事態になっている。
インバウンド効果で欧米やアジア、中東、アフリカ、南米にも広がっているというすさまじい抹茶ブームなのだ。
おかげで茶葉の輸出は10年前の3倍となり、その大半は抹茶が占めるほどである。
2030年までに農林水産物・食品の輸出額を5兆円に増やす目標を掲げている政府としても、このブームは「海外から稼ぐ力」の強化をけん引する期待の起爆剤だ。

海外の人たちは品質へのこだわりも強く、特に京都・宇治などの有名銘柄のものほど、そして高額なものほど飛ぶように売れるというのだから驚く。
また、海外への輸出や販売となると、オーガニックの認証マーク(JAS、USDAなど)があるものが圧倒的に優位で、高い信頼と価格を維持する鍵になるという。

さて、世界中から問い合わせが殺到し、生産が追い付かないほどとあれば、お茶農家は万々歳でうれしい悲鳴を上げているかというと、実態はそうとばかりも言えない。
お茶ブームの「お茶」は「抹茶」なのである。

抹茶は急須で入れて飲む緑茶と同じ木からとれるが、栽培の工程や加工が違ってくる。
渋み成分を抑えてうまみ成分を蓄えさせるために、収穫の2~3週間前に直射日光を遮るための覆いを被せる。
そして収穫したら蒸した後、揉まずに乾燥させ、それを砕いて葉脈を取り除き、「てん茶」と呼ばれる状態にする。
この「てん茶」をさらに細かくひいて「抹茶」となる。

今は「抹茶」のほうが収入増を見込めるというわけで、緑茶用の茶葉から抹茶の原料となる「てん茶」へと転作したり生産の比率をシフトしたりする農家が増えている。
当然の流れであろう。

新芽の出た茶畑をカバーで覆うのは手間暇がかかるし、コストもかかる。
国はそうした資材や工場への投資の支援に乗り出している。

だが、しかし、
抹茶ブームの裏側で “普通のお茶”には悲しい現実が起きている。
転作する茶葉農家が増えて、今度は緑茶用の茶葉が足りなくなっているのだ。
それは、安価な緑茶や番茶が店先からどんどん消えているという由々しき事態を意味する。

収穫までに数年かかる茶の木は、すぐに増産というわけにはいかない。
加工や卸売業者にとっては仕入れ価格に即響いてくる。
残念なことに、おのずとわれわれが手にするお茶の価格は高騰し、値上げに次ぐ値上げが待っているのである。
そういえば、お茶飲料も随分値上がりしているではないか。

昔から日本人と共にあった緑茶やほうじ茶、そして番茶。
「お茶を一服どうぞ」というのは心をほぐす魔法のコミュニケーションツールでもあったのに。
日本のお茶の素晴らしさを世界に知ってもらえるのはとてもうれしいことだ。
だが、なんだかなあ……と複雑な気持ちになる。

さてと、熱い番茶でも飲むとするか。
湯飲みにたっぷり注いで、ふうーっと立ち上る湯気をかきわけて一口すする。
「ほおーっ」と思わずおいしいため息がこぼれる。
こんな小市民の至福のひとときを奪われたくはないものだ。