6月といえば衣替えの季節だ。
学校の制服は爽やかな夏服に替わり、心なしか皆軽やかに弾んで見える。
衣替えは平安時代からの風習だ。
当時は一年に2度、春から夏へ、そして秋から冬へと季節が移る時に、衣類だけでなく家具・調度に至るまで季節に応じて替えた。まさに四季のある日本ならではの文化である。
しかし、今ではかなり事情が変わり、衣替えをしない人が増えている。
冷暖房が当たり前の現代では、効き過ぎたエアコンで夏に寒い思いをしたり、冬に汗ばむほど暑い思いをしたりすることもしばしばだし、化学繊維の進化も目覚ましく、夏涼しく冬暖かい衣類もいろいろとある。
その上、温暖化によって暑さ寒さの巡ってくる時期がずれ、6月1日と10月1日がベストのタイミングとはいえなくなった。
生活に合わなくなれば、衣替えの文化が失われていくのも致し方ないのかもしれない。
日本の文化といえば、和服の世界では季節に関しての明確なしきたりがある。
冬から春先に着る袷仕立て(裏地付き)の着物、盛夏の時期に着る透け感のある着物、春から夏へと秋から冬へ季節が移る一歩手前の6月と9月にだけ着る単衣の着物と、細やかな決まり事があるのだ。
しかし、さすがにそれも現代には合わなくなった。
何しろ5月には半袖を着るほどの気温になるし、6月や9月に35℃以上の猛暑日を記録したり真夏日が続いたり、10月に入ってもまだ25度を超える日もあるのだから、しきたりどおりにと思っても無理がある。
あの厳格な茶道の世界でさえ、裏千家では5月から単衣にすることを提唱し、単衣と袷の原則を変えた。
四季があることで育まれてきた文化が失われていくのは残念なことだが、甲子園でクーリングタイムが導入されたように、健康を損なうまで我慢を強いることに意味はない。
むしろ、変わった現実に合わせて変えていくことによって伝えられ続けるのかもしれない。
変わったといえば、海の温暖化で魚の水揚げ状況が様変わりしている。
これまで名産とされてきた魚がとれなくなり、逆に今までとれなかった魚の漁獲量が増える、そんな異変が各地で起きているのだ。
例えば、かつてイカの水揚げ日本一を誇った八戸では、その特産のイカが激減。西日本の魚であるブリが北海道で漁獲量が急増、同じく西日本が主な産地であったタチウオが東北の宮城県で水揚げ急増といった具合だ。
魚にはそれぞれにすみやすい水温というのがあり、生息場所を選んで暮らしている。
ここ数年、日本周辺の海域では過去30年の7月の海水温の平均値より2~4℃高い海域が増えているという。
すみづらくなればよそへ移動するのは当たり前のことで、魚は生きやすい環境を求めて自由に泳ぐ。
海水温の上昇で北に移動している魚が増えたその一方で、南に移動した魚もいるらしい。
新たな魚の出現で居場所を奪われて南に移動せざるを得ない魚もいるのではないかという。
生息域が変わってくれば食物連鎖によって生態系にも影響が及ぶし、漁業にも、そして食文化にも大きな影響がある。
いろいろなことが変わってきている。もうかつてのようにはいかないこともある。
どうすれば持続可能な循環になるのか。
変化をどう受け入れ、どのように循環させていけばよいのか。
人間が知恵を絞らなければならない。
人も植物も動物も、昆虫も微生物も、土も水も空気も地球も皆つながっている。どれか1つだけを切り離して考えることはできない。
健全な食物連鎖を守るために何をすればよいのか、今何ができるのか。
「全ての命を幸せにする仕組み」――オーガニックのこの原点に立ち戻って考えると、現実に起こっていることがいかに深刻な変化であるか、そして、途方もない難題の前に人類が試されていることを実感せざるを得ない。