「春は名のみの風の寒さや」と歌ったのは、大正時代に発表された日本の唱歌「早春賦」。
日本の情緒豊かな原風景の一コマである。
「谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず」と続く。
暦の上では春とはいうものの、まだまだ春を告げる時期ではないと、ウグイスはじっと声を出さずにいるというわけだ。
鳥はちゃんと春の訪れが分かるのだ。
昼間の時間が長くなったことをキャッチして「春告げホルモン」なる雄性ホルモンが分泌されるからで、これによって繁殖スイッチが入るという。偉いものだ。
生きもののこうした感覚に驚かされることはたくさんある。
ところで、早春とはいつ頃を指すのかといえば、立春から啓蟄前日までの期間である。
寒さの中にも少しずつ春を感じるようになる“時”を先人たちはちゃんと肌感覚で知り、心身を整えながら待っていたのだから、人間だって偉いものだ。
しかし現代は、振り返れば春があったのか?と思うほどあっという間に暑くなるし、移ろいを味わうような微妙な季節はすっ飛んでいきなり寒さへと突入し、これまで縁のなかったような地域にも大雪が降ったり大寒波が襲ったりする。
情緒も何もあったものではなく、これではウグイスもいつ声を上げてよいのか困惑してはいないだろうか。
近年、クマの出没が大きな社会的問題となっている。
街の中を当たり前に歩き、車道を横切り、悠々と闊歩する“アーバンベア”の姿に人間のほうが唖然とし、恐ろしさに震える。
人身被害にまで及び、災害級の深刻さである。
こんなに多くのクマが人のいる所に出てきた理由は何か。
里山との境界がなくなったこと、山の手入れがされなくなったことも原因の一つだといわれており、考えさせられる。
一方で、人が自然に手を入れることで招いた負の部分についても考えさせられる。
例えば、ウグイスが子育てするのは低い藪の中だ。
環境整備という名の下にそうした藪がなくなれば、ウグイスは子育てをする居場所を失う。
ウグイスに托卵して子育てをお任せしているホトトギスも同様である。
ちなみにこの托卵というシステムだが、人間から見るとなんだかちゃっかりしているように見えるけれども、これも生態系の環の中に組み込まれた自然界の正しい法則なのである。
藪を必要とする生きものはまだまだたくさんいる。
共存するというのは、なんと難しいことであろうか。
自然に共生が成り立っていた時代と何が変わってしまったのか。
戻ることはできないが、学ぶことはできるはずだ。
