気候変動によって、これまで考えもしなかった事態が起こるようになった。
自然界がいかに絶妙なバランスで互いに生かし合って循環しているかを思い知らされる。
農業の現場では気候の影響が顕著に現れる。
さらに、天候と作物の出来具合は暮らしと切っても切れない関係にある。
歴史をひも解けばよく分かる。
江戸の三大飢饉といわれる「享保の大飢饉」「天明の大飢饉」「天保の大飢饉」、いずれもその原因となったのは異常気象や自然災害だ。
その度に多大な犠牲をはらいながらも、人々は英知で乗り越えてきた。
生死に関わる過酷な経験を何度も経て、寒さに強い品種が開発されてきたわけだ。
それでも、自然が相手である以上、いつの時代も完全に防ぐ方法はない。
温暖化の現代は、暑さに強い米の開発が進められている。
温暖化によって北日本で冷害が減少すれば、米の収量が増えることにつながるのではないか?
そんな単純な話ではない。
温度が高いと早く発育してしまって十分生長できなかったり、開花期に高温になると受粉がうまくいかず実りが悪かったりする。
気候の変動は作物の周りの環境にも影響を与えるので、害虫が増えたり病気になったりと、たくさんの困った事態を引き起こすのだ。
人間は自然の恵みなくしては生きられない。
その源は太陽だ。
人間だけではない。生命は全て太陽のエネルギーによって生かされているのだ。
植物は太陽の光を利用してエネルギーをつくり出すシステムを持っている。
降りそそぐ太陽をいっぱいに浴びた植物は、光合成によってデンプンなどの有機物と酸素をつくり出す。
有機物となった太陽からのエネルギーは、植物を食べる草食動物へ、そして草食動物を食べる肉食動物へと渡され、分解者であるバクテリアまで渡っていく。こうして生態系内を有機物の形で循環しているのだ。
地球上には極寒の地域もあれば、熱帯もあれば、乾燥した地域もある。
自ら移動することができない植物は、根を張ったその環境で子孫を残し生きていくために、長い年月をかけて順応するための進化を遂げてきた。
さまざまな機能を持ち、自らの形態をつくりかえてきたのである。
その進化の歴史を追い越して起きている気候変動の前に、われわれは何ができるのか。
ふと、『北風と太陽』というイソップ寓話を思い出した。
北風と太陽とでどちらが強いかと議論になり、力比べをする話である。通りがかった旅人のコートを脱がせたほうが勝ちだ。
話の教訓は置いておき、ピューピュー、ブルブル、ポカポカ、ジリジリの過程を思い出したのだ。
突然立っていられないほどの激しい風に煽られたかと思うと、今度は裸になりたくなるほどのひどい暑さに見舞われた旅人はたまったものではない。
北風も太陽も、どちらも自然界の循環に欠かせない大切な役割を果たしている。
いたずらに競争して猛威を見せつけられては困るのだ。
ほどほどに、適切に、よい加減、よい案配で照ったり吹いたり冷えたりしてくれないものだろうか……。
新しい年が、天変地異など起こることなく皆が穏やかに暮らせる一年であるように願うばかりである。