能登半島地震の発生で幕を開けた2024年。
さらに1月は大寒波で日本海側を中心に大雪となり、被災地はさらにいじめられることになった。
被災された方々、そして今なお厳しい避難生活を送られている方々に一日も早く穏やかな日常が戻ることを願うばかりだ。
今年は暖冬と予想されていたが、実際にシーズントータルで見るといつもより雪が少ない所が多い。暖冬の年はドカ雪が多いのが特徴なのだそうで、まだまだ油断はできない。
波乱に満ちた幕開けながら、それぞれがそれぞれの地で暮らしを回すうちに、いつしか「啓蟄」まで暦が進んだ。何があっても季節はちゃんと巡るのだ。
「啓蟄」――二十四節季の一つで、冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃を言う。「啓」は開放する、「蟄」は虫などが土の中にもぐって閉じこもるという意味がある。
「虫」という漢字はもともとはヘビやマムシを表す象形文字で、昔は昆虫に限らず、ヘビやトカゲ、カエルなども虫と呼ばれていた。
なるほど、「蛇」も「蜥蜴」も「蛙」も全部「虫へん」だ。
寒さが一段落して春の気配が感じられるようになると、冬の間、土の中でじーっと眠っていた虫たちが目覚め始める。
春めいた空気や光や匂いにくすぐられて、生きものたちがモジモジ、モゾモゾと動き始める様子を想像すると、なんだかちょっと可笑しい。
春が始まる「立春」の、その少し手前の季節を指す「啓蟄」、なんとも味わい深い言葉ではないか。
啓蟄の頃に鳴る雷を「虫出しの雷」と言う。
春を告げる雷の音に驚いた虫たちが、寝ぼけながら慌ててゴソゴソと飛び出してくるなんて想像すると、これもまた可笑しい。
「啓蟄」も「春雷」も「虫出しの雷」も、俳句では春の季語になっている。
春の季語といえば、「山笑う」もその一つだ。
春がきて、草木が一斉に芽吹き始めた山の彩りが明るく弾んで見える、そんなイメージだろうか。
木々は新芽を出し、花たちはほころび始め、地面には山菜が顔を出し、眠っていた草花も一斉に顔を上げる。そして鳥や虫たちもうれしそうに活動を始める。
そんなさまざまな生命の躍動を懐に抱いた山は、喜びに満ちた明るい笑顔を放っているように見える。
「故郷や どちらを見ても 山笑ふ」と詠んだのは正岡子規。
東京にいて結核と闘っていた頃に、故郷松山を思って詠んだ句だといわれる。
ちなみに、夏は「山滴る」、秋は「山粧う」、冬は「山眠る」がそれぞれ季語になっている。
四季折々の山の情景を写し取って言葉にした、その日本人らしい感性に感心するばかりだ。
こんな風景は人間の手ではつくったものでもないし、つくれるものでもない。
が、守ることはできるのだ。
さて、私たち人間にも、そろそろ始動の時期がきたようだ。
心機一転、フレッシュな気持ちでスタートだ。
畑では虫たちとの共同作業が始まる。
春野菜から始まって、今年はどんな「おいしいフレッシャーズ」に出会えるか、楽しみである。