山菜を食べるのを毎年楽しみにしている。
春の苦みを食べるとデトックス効果で胃腸も冬仕様から春仕様へと変わるような気がして心待ちにしているのだ。
だが、今年はクマ問題で山に入るのも命懸け、山菜採りはとても危険だ。
口に入るチャンスはないかもしれないと諦めかけていた矢先に、知人からタラの芽をどっさり頂いた。
冬眠明けのクマもタラノ芽を好んで食べるという。
危険を承知で採ってきてくれた方に感謝しておいしく食べなければと気合が入る。
タラの芽といえば天ぷらが王道であろう。
だが、あまりにもたくさんあるので、別な食べ方もしてみたいものだと思い、早速調べに入る。
あっという間にさまざまなレシピが写真入り、動画付きで出てくる。
まったく便利な世の中になったものだ。
ふむふむ、なるほど、ほう、そんな食べ方もあるのかと感心しているうちに、ふと気付いたことがある。
やたらと「苦みがやわらぐ」という言葉が目立つのだ。
もちろん舌がおかしくなるほどの苦みでは困るが、「春の苦み」というように山菜の魅力は「苦み」ではないのか?
ほろ苦いよりもさらにちょっと苦いくらいがよい、そう思うのは筆者だけだろうか。
そういえば、昔のホウレン草はもっとえぐみがあったような気がする。
昔のセロリはもっと強烈にセロリだぞと主張していたような気がする。
ニンニクも随分マイルドになった。
なんだか、いつの間にかあらゆるものがマイルドになったのではないだろうか。
強烈な個性はあまり受けない時代になったのはいつからだろう。
アクの強いものは敬遠され、ほどほどに改良され、いつの間にか優しく食べやすくなった。
いや、あえて言わせてもらえば軟弱になったのだ。
旬も分からなくなり、本来の味も分からなくなり、皆押しなべてほどほどになっていく。
私たちは一体どこへ向かっているのだろうか。
