第38回 愛ある共生

「これは虫の分」――『朝日新聞』のコラム「折々のことば」に取り上げられた有機栽培研究家・佐倉朗夫氏の言葉だ。

そしてこう続く。

――「虫の喰(く)い跡が残るトマト。でも、虫は全て食べ尽くすのでなく、人の分も残してくれているから、これは虫の分と思えばいいと、有機栽培研究家は言う。
虫は犯人ではない。糞(ふん)も死骸も地に還(かえ)り、畑の栄養になる。雑草だって畑の温湿を保ち、やがて土中の餌になる。生き物はみなで分け合っていると。NHK・Eテレの番組『趣味の園芸 やさいの時間』(7月141日放送)から」。――

「これは虫の分」、なんて素敵な言葉だろう。
「俺もそう思う」、「私もそう思う」、そんな声が聞こえてきたらもっとうれしい。
そうしたら、自分にできることをちゃんとやろうという思いが新たに強くなるし、共力になる。
こんな考えが普通になったら、地球の未来に希望が持てる。

もう一つ、これは有機野菜の宅配をしている会社、「坂ノ途中」から届く“お便り”に掲載されていたもの。
坂ノ途中は、「環境負荷の小さな農業に取り組む人たちを増やし、100年先もつづく農業のかたちをつくって持続可能な社会にたどり着きたい」と頑張っている会社だ。

――「環境の悪化を感じながらも、何をしたらいいかわからない、という人もいます。環境の変化は巨大であるのに、個人の力はとても小さいからです。自分にいったい何ができるんだろう? そう思い、気持ちが萎えてしまうのも、理解できることです。
でも、できることが何もないはずはありません。私たちが直面している環境危機は、私たちの生活の反映だからです。私たちが生活を変えれば、少しだけかもしれないけど、状況は変わります」――

心の内を見透かされ、ズバリと言い当てられたような一節である。

前出の文章はその後、一生涯毎日食べ続ける私たちの食事を意識して変えれば環境に与える負荷は減らせる、そして環境に配慮した食事とは何かということが牛との関係を例に綴られている。
そして、「牛」に関するこんな話が心に刺さった。
江戸時代、牛は人間にとって共に暮らしを営む大切なパートナーだった。
農作業や荷物を運ぶ手伝いをしてくれたし、草を食べ、排せつした糞は肥料になってくれた。

――牛は人間に使えない資源(草)を、人間に使えるもの(動力・肥料)に変えてくれる頼もしい相棒だったわけです。――

だから人々は牛をとても大事にしていて、人間が暑ければ牛も暑いだろうと考え、牛車の上に「牛のための日よけ」を付けていたというのである。

こんな愛ある共生を、私たちは一体どこで見失い、置き忘れてきてしまったのだろうか。
そう思ったら、ひりひりと胸の奥がうずくのだった。

この「坂ノ途中だより」には、2頭の牛が人間の相棒として生活している農園が紹介されていた。そこでは、牛は人手の行き届かなくなった里山の草を食べるのが仕事。それによって里山は藪にならず、シカやイノシシがあまり来なくなり、農作物の食害を減らせているという。
幸せそうな牛がいて、その牛を可愛がっている農園主がいて……。

牛も人も共に幸せである方法を考えている人がいる。
自然界の小さな生きものとの調和・共存を考えている人がいる。
本来の命の循環を取り戻したいと考えている人がいる。

何しろ考えることができるのは人間だけなのだから、これから先も人類がこの地球で暮らし続けることができるように、持続可能な世界であるための道を模索するのは人間が果たすべき役目だ。
その答えを見つける時、きっと愛ある共生も見つかるのだろう。

参考
『朝日新聞デジタル』折々のことば:3195 鷲田清一「これは虫の分」(佐倉朗夫)2024.9.4
坂ノ途中 『on the slope journal August 2024』「食事から考えるやさしい環境学」小松 光